さてさて、らき☆すたもついに半クールとちょっとを過ぎてしまったわけですが。
いやー、中々面白かった!
そういうわけで、そろそろまとめの感想を書こうかな、と思います。
第一話 つっぱしる女
斬新なOPで始まり、本編はずーっと食べ物の話をし、予想外のEDで終わる。
えー、一行で説明するとこうなるのですが、ここにはやっぱり何らかの意図があるのではないでしょうか?
まず、視聴者が見に来ているのは基本的に本編であって、OPやEDではない。つまり、らきすた、という作品の本編はこういうものですよ、と視聴者に知らせるためのものだったのではないでしょうか?
中身のない……といってしまえばそれまでですが、でも、どんなアニメであれ、小説であれ実際に中身のある内容なんて無いんですよね。どんな内容のものであれ、それは作り物であり、現実とは少し違うもの(ノンフィクションは除く)。このあたりはまた今度じっくり書きたいと思いますが、そもそもこういう作り物は、作中に限り現実での距離感を自由自在に操ることが出来るんですね。
夢とかそういう類のものが、手の届く範囲にある。そして、嫌いなものは自分の遥か彼方にある。そういう距離感、というものを作り手が自由に決められるわけです。
さて、らきすたの話に戻るとしましょう。
ここではまず、日常空間、というものが濃く・綿密に描かれています。まあ、こなたというちょっとした変わり者を中心に置いて廻っているのですが、これが中々面白い。
チョココロネの話だけで盛り上がり、何度もループする話。これ、もちろんテンポ、再登場の仕方も良かったわけですが、何よりもまず、この小道具はらきすたというアニメのテーマという点で非常に象徴的な働きをしていると思います。
多分こなたは、かがみ・つかさ・みゆきがチョココロネのことをどう思ってようが、それはきっとどうだっていいんですよ。
そのことを聞くことによって、少しでも相手のことを知ろうとしていたんですよ。それから、自分のことを相手に知ってもらおうとしていたんじゃないでしょうか。
たとえば、4話のケーキの場面。
「かがみんの魅力にまた一つ気づいただけだぞー」という台詞がありますよね?
あれも、やはりこなたがかがみの素行をしっかりと観察していたからこそ出た言葉だと思います。
ていうか、自分のケーキも食べずにじっと見てましたが(笑)
他にも、色々な話で盛り上がりますよね。
それもやはり、「相手のことを知りたい、自分のことを知ってもらいたい」というこなたの欲求が生んだ、雑談だったのでしょう。
第二話 努力と結果
さて、それに反してこの回は、人物の紹介的な展開が目立ちました。
テスト・ゲーセン・その他……全ての場所で、キャラが視聴者の側に公開されています。一話は、内輪で盛り上がっているなー、というのを外から眺める感じだったのが、二話になって一気に近くなります。
ああ、このキャラはこんな性格で、こんな行動をするんだ。というのが非常に分かりやすくなっていました。
それから、予想外の反応を期待してそれぞれが行動していた一話に比べ、二話は結構、ボケる側の予想通りにツッコミが入る、というパターンが多かったです。知っていることをわざわざ確認している、と感じました。(みゆきは天然なのですが、それに関してはまた後で)
さて、1,2話と、キャラにこれだけ違う行動をさせた理由はなんでしょうか。
まあ、自分が勝手に違うと思い込んでいるだけかもしれませんが……多分、視聴者との距離を縮めるためなのでしょうね。ここまで、視聴者との距離感、というものが意識されたアニメというのも珍しいですし、毎回その距離が微妙に変わってくる。
ずっと同じ距離で物語を続けるのではなく、視聴者に否が応でも距離を意識させるつくりをとっている
──もうすでに、言いたいことはわかっているかもしれませんが、つまり、現実と距離感が完全に違う世界で、現実と物語との距離を提示しているわけです。それによって、物語中での行動が生み出す距離が、現実とアニメ世界の距離をものさしにして測れる、ということです。
仮に現実と物語世界との距離を絶対的なものとするなら、一話では遥か遠くに物語の世界があって、その世界の中ではものすごく親密な、友情をはぐくむ時間が流れている。対して二話では、近くの方に物語があり、その中でも、見た目には同じように親密な時間が流れている。
……となると、一話で遠くに見えたその距離を、二話と同じだけに縮小してみると、一話の展開(つまり、他人のことを知りたいということ)が、らきすたという作品の本質に最も近いのでは? とも考えられるわけです。
まあ、仮に、と置いての話なのですが。(この仮定が間違っている可能性も存分にありえますし……)
第三話 いろいろな人たち
ここらで、キャラのバランスが良くなってきました。
双子では疑問をかがみたちにぶつけるたり、つかさにジューンブライドの意味を聞いたりして、こなたの好奇心が全開だったこと。
また、ハガキの件ではこなた→つかさへの解説、そして最後のこなたのオタトーク等等の、こなたの自己顕示も多々あったこと。
それからやはり、こなたとかがみの雑談ですよね。
この三つ。知りたい、知ってもらいたい、そしてその二つをあわせたもの。
これらがバランス良く混ざり合ったこの回こそ、らき☆すた最高傑作(暫定)だと勝手に認定しているわけですが、それはさておき。
この回では、「みゆき」がキャラとしてだけではなく、小道具としても存在していたりします。最後のあたりでこなた達がみゆきについての品評会を行っていますが、「みゆき」という存在を通して雑談することにより、こなた・かがみ・つかさら互いの認識が深まると思うんですよね。
それかららっきーちゃんねるでも同じように、「みゆき」について語り合ってます。これも同じように、あきら様と白石が雑談しているということは、この二人も距離を縮め合おうという気持ちはあるみたいですね(笑)
さて、らっきーちゃんねるについてですが。この二人の距離って、こなたの友人たちとの距離とは比べ物にならないほど遠いんですよね。でも、その溝を埋めるのが言葉であり、好奇心であり、顕示欲だと思うんですよ(もちろん、度を過ぎると嫌われますが)。
言葉と心が、どれほどの力を持っているのか……については、ラッキーチャンネル内で提示されるのでは、と思っています。簡単に言うと、あきら様と白石が、それなりに親密になってくれるんじゃないのかなー、と。
第4話 やる気の問題
そうそう、夏の定番は? と聞かれて、こなたは「コミケ!」と声高に宣言していますよね。ところが「夏の定番」と銘打たれた第六回では、海へ行っていた。つまり、少なくともこなたにとっての定番ではなかった、ということでしょう。
この回は、三話とそれほど変わらず。
まあネタが変わっただけで、行動は何も変わってませんよね。
……疲れてきたので、次回に続けます
いやー、中々面白かった!
そういうわけで、そろそろまとめの感想を書こうかな、と思います。
第一話 つっぱしる女
斬新なOPで始まり、本編はずーっと食べ物の話をし、予想外のEDで終わる。
えー、一行で説明するとこうなるのですが、ここにはやっぱり何らかの意図があるのではないでしょうか?
まず、視聴者が見に来ているのは基本的に本編であって、OPやEDではない。つまり、らきすた、という作品の本編はこういうものですよ、と視聴者に知らせるためのものだったのではないでしょうか?
中身のない……といってしまえばそれまでですが、でも、どんなアニメであれ、小説であれ実際に中身のある内容なんて無いんですよね。どんな内容のものであれ、それは作り物であり、現実とは少し違うもの(ノンフィクションは除く)。このあたりはまた今度じっくり書きたいと思いますが、そもそもこういう作り物は、作中に限り現実での距離感を自由自在に操ることが出来るんですね。
夢とかそういう類のものが、手の届く範囲にある。そして、嫌いなものは自分の遥か彼方にある。そういう距離感、というものを作り手が自由に決められるわけです。
さて、らきすたの話に戻るとしましょう。
ここではまず、日常空間、というものが濃く・綿密に描かれています。まあ、こなたというちょっとした変わり者を中心に置いて廻っているのですが、これが中々面白い。
チョココロネの話だけで盛り上がり、何度もループする話。これ、もちろんテンポ、再登場の仕方も良かったわけですが、何よりもまず、この小道具はらきすたというアニメのテーマという点で非常に象徴的な働きをしていると思います。
多分こなたは、かがみ・つかさ・みゆきがチョココロネのことをどう思ってようが、それはきっとどうだっていいんですよ。
そのことを聞くことによって、少しでも相手のことを知ろうとしていたんですよ。それから、自分のことを相手に知ってもらおうとしていたんじゃないでしょうか。
たとえば、4話のケーキの場面。
「かがみんの魅力にまた一つ気づいただけだぞー」という台詞がありますよね?
あれも、やはりこなたがかがみの素行をしっかりと観察していたからこそ出た言葉だと思います。
ていうか、自分のケーキも食べずにじっと見てましたが(笑)
他にも、色々な話で盛り上がりますよね。
それもやはり、「相手のことを知りたい、自分のことを知ってもらいたい」というこなたの欲求が生んだ、雑談だったのでしょう。
第二話 努力と結果
さて、それに反してこの回は、人物の紹介的な展開が目立ちました。
テスト・ゲーセン・その他……全ての場所で、キャラが視聴者の側に公開されています。一話は、内輪で盛り上がっているなー、というのを外から眺める感じだったのが、二話になって一気に近くなります。
ああ、このキャラはこんな性格で、こんな行動をするんだ。というのが非常に分かりやすくなっていました。
それから、予想外の反応を期待してそれぞれが行動していた一話に比べ、二話は結構、ボケる側の予想通りにツッコミが入る、というパターンが多かったです。知っていることをわざわざ確認している、と感じました。(みゆきは天然なのですが、それに関してはまた後で)
さて、1,2話と、キャラにこれだけ違う行動をさせた理由はなんでしょうか。
まあ、自分が勝手に違うと思い込んでいるだけかもしれませんが……多分、視聴者との距離を縮めるためなのでしょうね。ここまで、視聴者との距離感、というものが意識されたアニメというのも珍しいですし、毎回その距離が微妙に変わってくる。
ずっと同じ距離で物語を続けるのではなく、視聴者に否が応でも距離を意識させるつくりをとっている
──もうすでに、言いたいことはわかっているかもしれませんが、つまり、現実と距離感が完全に違う世界で、現実と物語との距離を提示しているわけです。それによって、物語中での行動が生み出す距離が、現実とアニメ世界の距離をものさしにして測れる、ということです。
仮に現実と物語世界との距離を絶対的なものとするなら、一話では遥か遠くに物語の世界があって、その世界の中ではものすごく親密な、友情をはぐくむ時間が流れている。対して二話では、近くの方に物語があり、その中でも、見た目には同じように親密な時間が流れている。
……となると、一話で遠くに見えたその距離を、二話と同じだけに縮小してみると、一話の展開(つまり、他人のことを知りたいということ)が、らきすたという作品の本質に最も近いのでは? とも考えられるわけです。
まあ、仮に、と置いての話なのですが。(この仮定が間違っている可能性も存分にありえますし……)
第三話 いろいろな人たち
ここらで、キャラのバランスが良くなってきました。
双子では疑問をかがみたちにぶつけるたり、つかさにジューンブライドの意味を聞いたりして、こなたの好奇心が全開だったこと。
また、ハガキの件ではこなた→つかさへの解説、そして最後のこなたのオタトーク等等の、こなたの自己顕示も多々あったこと。
それからやはり、こなたとかがみの雑談ですよね。
この三つ。知りたい、知ってもらいたい、そしてその二つをあわせたもの。
これらがバランス良く混ざり合ったこの回こそ、らき☆すた最高傑作(暫定)だと勝手に認定しているわけですが、それはさておき。
この回では、「みゆき」がキャラとしてだけではなく、小道具としても存在していたりします。最後のあたりでこなた達がみゆきについての品評会を行っていますが、「みゆき」という存在を通して雑談することにより、こなた・かがみ・つかさら互いの認識が深まると思うんですよね。
それかららっきーちゃんねるでも同じように、「みゆき」について語り合ってます。これも同じように、あきら様と白石が雑談しているということは、この二人も距離を縮め合おうという気持ちはあるみたいですね(笑)
さて、らっきーちゃんねるについてですが。この二人の距離って、こなたの友人たちとの距離とは比べ物にならないほど遠いんですよね。でも、その溝を埋めるのが言葉であり、好奇心であり、顕示欲だと思うんですよ(もちろん、度を過ぎると嫌われますが)。
言葉と心が、どれほどの力を持っているのか……については、ラッキーチャンネル内で提示されるのでは、と思っています。簡単に言うと、あきら様と白石が、それなりに親密になってくれるんじゃないのかなー、と。
第4話 やる気の問題
そうそう、夏の定番は? と聞かれて、こなたは「コミケ!」と声高に宣言していますよね。ところが「夏の定番」と銘打たれた第六回では、海へ行っていた。つまり、少なくともこなたにとっての定番ではなかった、ということでしょう。
この回は、三話とそれほど変わらず。
まあネタが変わっただけで、行動は何も変わってませんよね。
……疲れてきたので、次回に続けます
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